小西達也トレーナー物語 Vol.1
20歳、広島を離れた理由
こんにちは!
広島市中区橋本町のパーソナルジムgiftの小西です😊
今回から、僕のことを少しでも知っていただきたいと思い、「小西達也トレーナー物語」というテーマでブログを書いていこうと思います!
今回の内容は、「20歳、広島を離れた理由」です!
少し恥ずかしいですが、当時のことを振り返りながら書いていきます🖋
僕は20歳のときに、広島を離れて大阪へ就職しました。
就職先は、トータルボディデザインフィットネスVADYというパーソナルジムです!
実は当時、学校に来る求人を見ても、広島にはパーソナルトレーナーとして働ける求人自体がほとんどありませんでした。
あってもライザップくらいで、それも正社員ではなく契約社員での募集でした。
それ以外は、フィットネスクラブのアルバイトや、介護施設、子どもの体操教室などの求人が中心だったんです😰
僕は「パーソナルトレーナーとして本気で活動したい」という思いが強かったので、学校の求人には頼らず、自分で就職先を探しました。
そこで見つけたのが、大阪のトータルボディデザインフィットネスVADYです。
面接は1回。
その後、確か3週間ほどの試用期間が設けられていて、その期間の様子も含めて採用を判断するという流れでした。
「絶対にこの会社に合格する。」
「ここで合格をもらえんかったら、パーソナルトレーナーにはなれん。」
当時は本気でそう思っていました。
だからこそ、死ぬ気で取り組み、なんとか合格をいただくことができました。
採用の連絡は、御堂筋を歩いているときに突然かかってきました。
「採用です。」
その一言を聞いた瞬間、本当に嬉しくて、すぐに母へ電話をしたのを今でも覚えています。
でも、興奮しすぎて気持ちが全然落ち着かなくて…(笑)
心斎橋の近くのドトールに入り、ココアを飲みながら気持ちを落ち着かせました。
それくらい、僕にとってパーソナルトレーナーになることは夢だったんです。
後から担当者の方に聞いたのですが、その年は約100人の応募の中から採用されたのは5人だけだったそうです。
だからこそ、あの日の電話のことは今でも鮮明に覚えています。
その後、学校生活も終わりを迎え、3月中旬に大阪へ旅立ちました。
そのときは、母も大阪まで一緒についてきてくれました。
家具や家電を買いに行き、新生活の準備をしたのですが、想像していた以上にお金がかかってしまって…(笑)
少しでもお金をかけたくない僕は、「それはいらんよ」と言い張り、母は「これは必要じゃけ」と譲らず…。
西心斎橋のニトリの近くで、ちょっとした親子喧嘩になったのも今では良い思い出です(笑)
そんなこんなで、大阪へ来て2〜3日ほどで生活に必要な基盤が整いました。
そして母を新大阪駅まで見送りに行きました。
改札で切符を入れてホームへ向かう母は、一度も後ろを振り返ることなく、そのまま歩いて行きました。
「あれ、振り返らんのんや。」
当時はそう思っていました。
でも後から母に聞くと、
「心配で、後ろを振り返ってあんたの顔を見れんかった。」
そう話してくれました。
20歳で初めての一人暮らし。
母なりに、いろいろな思いがあったんだと思います。
そして迎えた4月。
夢だったパーソナルトレーナーとしての第一歩となる、入社式の日を迎えます。
この続きは、また次回お話しします。


